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レイキⅣ ティーチャーコース受講者のレポート

  「私とレイキ」                 

私にとってのレイキとは、なんだろう?どんなものなのだろう?と、心を静かにして、じっくり感じてみると、それは、私のからだや心と「ひとつ」になっていて、私自身と切り離せない感じがします。からだの真ん中に芯がす~っと通って、内側から、ふわっと暖かいものが広がっていく感じ。やわらかく、明るく、穏やかで、それをからだに感じていると、「ありがたいなぁ・・・」と深いところから、感謝の念がこみ上げてきます。

レイキは暖かいお日様の光のように、すべての生き物を生かしている、宇宙から与えられている命の振動。すべてに分け隔てなく降り注いでいる愛と調和のエネルギー。そして、人それぞれの中にある美しさや輝きを引き出すもの。道具も必要とせず、簡単で、誰にもできる「癒し」。そんな風に、私はレイキのことを認識しています。

4年前に、私がレイキのアチューンメントを受けてから、レイキはさまざまな変化を私にもたらしてくれました。アチューンメント後、しばらくして、「あぁ、そうなんだ・・・」としみじみ思ったことのひとつが、「レイキって私の中にある井戸を掘り当てたみたいなものなのだ」ということでした。こんこんと湧き出る泉のように、私はいつもそれを受け取ることができるんだ、と、そのことが腑に落ちて、日常のふとしたことに「ありがたいなぁ・・・」としみじみ感じることが多くなりました。そして、私の外側にも目を向けると、たくさんの恩恵が無限に降り注いでいるのだということが、感謝とともに、実感として湧いてくるようになりました。

 レイキは、生活をしているあらゆる場面でも、私を助けてくれています。心配性な私は、ちょっとしたことにも不安が湧き上がって心が揺さぶられますが、そんな時はレイキを思い出し、感情に振り回されないように心を落ち着かせています。電車の中の雰囲気がなんとなく心地よくないときにもレイキ。ご飯をつくるときにもレイキ。自分の心や体のバランスが崩れたときにもレイキ。寝つきがよくないときにもレイキ。ペットにもレイキ。

いたるところ、あらゆる場面で、レイキを使わせていただいて、今ではレイキが私の生活のなかに、当たり前のように、しみこんでいる感じがあります。

 ただ、アチューンメントを受けた当初は、自分が何かとくべつな「能力」を手に入れたという思いあがった心と、こういうのは「怪しい」から人に受け入れられないのではないか?という構えがあって、自分勝手な思いでギクシャクとレイキとつきあっていたような気がします。そして、レイキというものに対して、どこか、まだ信頼を置けない私だったように思います。

そう、この「信頼」が私にとっては、いつも何度も浮上してくる課題で、疑っては、また腑に落とし、また疑っては、納得し、ということを繰り返しています。これは、もしかしたら、目に見えないレイキとかかわっていく上で、繰り返し経験することなのかもしれないと思っています。それでも、実際にレイキを通して、私が体験したこと、お腹の底から「あぁ、そうだ」と感じたことのひとつひとつは、私の中のレイキをだんだんとしっかりとした芯のあるものに、してくれているようにも思えます。

 レイキに出会ってから、私はもっと自分を「変えたく」なりました。生きていても、何か違和感がある感じ、満たされない大きな穴が私の中にあって、物質的には恵まれているのに、もっともっとと、物を手にいれて、それでも満たされない私。悪い感情が出てきて苦しくなる私。自分にOKが出せず、今のわたしじゃダメだという焦燥感。こんな自分をなんとかしたい、変わりたい、という気持ちがとても強くありました。

そんな私にとって、レイキの穏やかな働きがまどろっこしく感じられ、即効性のある解決方法をあちらこちらに追い求めていました。カウンセリングやフラワーエッセンス、エネルギーワーク、セミナーなど、色々なところに出向き、自分の中の問題を解決できるものを探し歩いていました。その中で出会った色々な「癒し」やそこでの出会いは、孤独感から、寂しくてたまらなかった私にとって、人とのつながりや温もり、気づき、そして、体験を与えてくれましたから、それも必要なものだったのだと思います。

ですが、今、振り返ってみると、レイキとの出会いが私の人生流れを大きく変えるきっかけとなったこと、そしてまた、レイキが大きな底力で私を支えてくれていて、いつでもレイキに立ち戻れるという「安心感」の土台となってくれたことは大きいように思います。

レイキは、穏やかに、ゆったりと、静かに流れる大河のように私を流れに乗せ、導き、河の端っこで、ぐるぐる流れに逆らっていた私を、ゆっくり、ゆっくりと、そして、静かに流れに乗せてくれました。ふりかえってみると、あんなに遠くから私を運んできてくれたのだ、と、感慨深くなります。

そして、力を抜いて、リラックスして、レイキの大きな流れに委ね、添っていけば、あれこれ心配して、まわりをコントロールしようとジタバタしなくてもいい。ちっぽけな私の頭の中の考えだけで頑張らなくていい・・・その時々に、私に必要なものが与えられる、「はからい」がある、ということがだんだん腑におちるようになってきました。

ただ、私の中に、まだまだ「委ねられない」私がいて、ちょっとしたことで不安になったり、怖がったり、心を揺さぶられる状態をいまだに、なんども経験していますが、それでも、すこしずつ、すこしずつ、私の内側にあって光っている「大きな私、大元の私」を感じられるようになり、その「大元の私」を信じる、という、練習を、繰り返し経験しているように思います。

いつ、どんなときでも、私の内に、私のことを見守ってくれている、どんな私のことも見捨てずに、支え、愛してくれている「大きな私」を、このからだの奥に感じられるようになったのは、私にとっては、自分を取り戻す大きな贈り物でした。

ずっと、ほんとうの私から私を切り離して、私が感じることをシャットアウトして、自分をごまかしてきた私にとって、この「私が私でいる」という感覚を、ずっと求めていたんだなぁ、と思います。

ときには「偽者の私」の声が大きくて、それに翻弄されてしまう私ですが、必ず「大元の私」に立ち戻ることができる、というのは、私にとってはとてもおおきな変化でした。

アチューンメントを受けてすぐに、せっかく使えるようになったレイキだから、「レイキで誰かを癒してあげたい」という気持ちになるのは、私にとっては当然の流れでした。「ひとを癒したい」という気持ちには「悪意」はなかったのですが、今、振り返ると「本当は私が癒されたい」という気持ちからのものでした。私自身の欲しいものを、人を通して受け取りたい。そして、喜ばれたい、感謝されたい。認めてもらいたい、と、見返りを期待している私がいたように思います。でも、それは私の満たされないものを、他者を通して受け取ろうとする依存であって、ほんとうの癒しにはならないことに、気がつきました。

最初、ティーチャーになりたい、と思った動機の中にも「とくべつな能力を持った私になりたい」というのがあったかもしれません。ありのままの自分にOKを出せないから、「とくべつ」になって、まわりから認められたい、そんな気持ちもあったかもしれません。  

でも、それだけではなく、こんなに素晴らしい内面の変化や、やすらぎを与えてくれたレイキのことを、もっと深く知りたい、実感してみたい、というのも大きな動機のひとつです。受け取る立場ではなく、伝える立場にたって、初めて見えてくるものがあるはず、それを体験してみたい、と、そんな気持ちがありました。

そして、もうひとつのきっかけとして、Y&Yのホームページのレイキ・ティーチャーコースの案内ページにあった「あなたも光の天使になってください」という言葉が、私のうちがわの深いところに響いたという体験があります。それを見たとたん、「私もなりたい、光の天使になりたい、そういう私になりたい」と、からだの奥深くから揺さぶられるような感じがこみ上げてきたのです。まだ、具体的にティーチャーになってどんなことをするか、というビジョンや目標は描けてはいないのですが、ティーチャーになることの「責任の大きさ」や、私自身の「ありかた」と、この経験は深くつながっている気がします。

こんなふうに、私の動機には、純粋でないものも含まれていたけれど、それでも、レイキと出会ったことが、私にとっては、とても大きく、深く、大切な経験で、これからもレイキとともに進んで行くことが、今の私にとって、いちばんしっくりして「私らしい」感じがしています。

ところで、この、ティーチャーコースのために練習セッションを積み重ねてきましたが、今のわたしからみると、最初の頃はずいぶん、自分勝手な意図を入れていたなぁ、と、練習させてくれたヒーリーさんには申し訳なくなります。「してあげている」という思い、相手よりも優位にたつ気持ちを持っている自分が見えてしまいます。そして、それは、今でもうっかりすると、持ってしまう気持ちですから、いつも注意深く、自分に気づいている必要があります。

また、練習を続けていく途中で、自分の良くないところばかりが目について、すっかり自分のことを信じられなくなり、練習はおろか、レイキが出来なくなったことがあります。  

こんなに欠点ばかりで、要らないものをたくさん溜め込んで、汚れている私が、レイキをしてもいいんだろうか?と、自信を失ってしまいました。自分に対する、疑い、自己卑下、罪悪感、非難の心でいっぱいでした。それでも、また、ヒーリングを始めようと、木本を立て直すことが出来たのもレイキのおかげでした。渦中では、自分の存在そのものが汚れている、いけないもの、としか見えず、とても苦しかったのですが、私にたくさんの欠点や良くないところがあっても、私はレイキを受け取って、癒されているということがふっと自分の中に落ちてきました。

「生かされている」こと、生きているだけで「愛されている」こと。命そのものが愛や光で、かけがえのないものだということが、私にも実感として味わえるようになってきました。そして、「無い、もらえない」と欠乏感をいつも味わっていたのが実は「受け取っていない」のだなぁ、ということが、少しずつ、わかりかけてきました。

まだまだ、私には、許していないところや、受け入れていないところがたくさんあります。けれど、自分の欠点や悪いところも、理解し、許し、受け入れる、そのことを、ひとつずつでも、こつこつと自分と向き合って、自分をもっと、許せるようになる、愛せるようになる、そして、自分を「生かせるようになる」ということを意図しています。

レイキの練習を通じて、学ばせてもらったことも、たくさんあります。ひとつは、レイキの働きで、ヒーリーさんの本来ではないものが溶けていって、変化が確実に起こるということです。一回のセッションでは、身体や心の不調が楽になった、というぐらいの変化なのですが、継続して、レイキを受けておられるうちに、内側に隠れていた本来の光がだんだん現れてくるように、自分自身を取り戻していかれ、まるで眠っていた人が目覚めていかれるような、変化があります。一回一回のヒーリングでは劇的なことは、起こっているようには見えなかったのですが、継続してレイキをさせていただいた期間をふりかえってみるとヒーリーさんから受ける印象が、本当に明るく、やわらかくなってこられるのを感じます。「以前の私と、今の私とはぜんぜんちがう」「まわりのひとからもそう言われます」「今のわたしには、感謝がいつも湧き上がってくる」という言葉が返ってきて、ほんとうに驚いています。また、ご自分の中に眠らせていた「本当はしたかったこと」を思い出され、なかなか踏み出せなかった一歩を踏み出した方もおられます。

静かだけれど、自然な流れで、確実に変化する、本来の力や、その人らしさ、輝きを取り戻していかれる、ということを、ヒーリーさんを通して見させていただいき、さらにレイキの素晴らしさを認識することができました。

それと、最近、「そうなんだなぁ・・・」と感じたことに「共に癒される」ということがあります。ヒーラー側も、ヒーリー側も、共にレイキに包まれることで、調和を取り戻していくということが、だんだん、実感としてはいってきたようにおもいます。最初のころは、レイキからヒーラーへ、そして、ヒーラーからヒーリーへ、という一方通行の流れをイメージの中でつくっていましたが、今は、レイキはヒーラーとヒーリーを共に包み込み、双方に癒しをもたらしてくれているのだ、ということが腑におちるようになりました。そのことで、知ったのは、ヒーラーもヒーリーも、お互いに命としては対等なのだ、ということでした。

またレイキを通じて、自分の癖や欠点にもたくさん気づくことができました。自分の中の「認められたい」「感謝してほしい」という動機でヒーリングをしてしまったり、「してあげる」という驕った気持ちがあったり、自分の意図を入れてしまったり、ヒーリーさんの感情に同情してそれに溺れそうになったり、恐れが湧いて、その感情に巻き込まれてしまったり、悪いところばかりを探して、そこを消そうとやっきになったり、レイキではなく、自分の力でなんとかしようとしたり、相手の了解を得ずに勝手に遠隔ヒーリングを送ってしまったり、自分の弱さや未熟さから、間違った経験をたくさんしました。

 その経験を経て、気がついたことは、私はただ、レイキを中継するだけでいい、私の個人的な意図はすべて脇において、レイキとひとつになっていることを実感したら、あとは、パイプとなってレイキにおまかせするだけでいい、ということでした。

宇宙のはかりしれない大きさや真実にからすれば、私の思いや意図など、取るに足りない。自分個人のちっぽけな「思い」を入れないこと。無心になる、それに尽きるのだということが納得できてきました。(とは、いっても注意深くしていないと、つい自分勝手に「思い」を入れてしまいそうになりますし、エゴにとらわれてしまいそうになります。無意識的にも・・・) このように、レベルⅠの基本中の基本として教わったことが、いかに大切か、そしてそれを実践していくことが、いかに難しいことかを身をもって感じました。

 今、こうして、私とレイキについて振り返ってみると、あのころの私から、今のわたしは、想像もできなかったことです。この四年の間にも、絶えず私に癒しを送り続けてくれたレイキ。堅い岩を一適一滴の水が穿つような、私にとってはそんな変化でも、レイキはたしかに、私を支え、今の私に導いてくれました。

これからの私にとっての課題は、まだ理解できていない、気づいていない自分と向き合うことです。自分を知ること、そして、自分を受け入れること、許すこと、愛すること。

今まで見ないふりをしてきた、自分の弱さやごまかしに気づいて、私が私じしんを理解し、受け入れて、自分の足で自分をささえ、しっかりと私で生きる、そのことが、何よりも大切なことだと気づきました。ともすれば、甘えや恐れで、自分から逃げてしまう私ですが、レイキに出会う以前の私には、もう、戻りたくはありません。しっかりと私じしんを生きること、そして、どんなときも、あたたかく、やわらかく、私の命を支えてくれているレイキと、ともにいることを、私は選択します。

レイキとの出会い、出会いの不思議、宇宙のはからいと導きに心から感謝をささげます。ありがとうございます。ありがとうございます。

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